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神経科学・BCI・生物

コネクトームだけでは足りない、欠けているのはデータの種類

2026/6/27 (更新: 2026/8/9)

目次

2024年10月、神経科学の大きな資源が公開された。成体ショウジョウバエ(メス1個体)の全脳コネクトーム——139,255個のニューロンのあいだの約5,000万の化学シナプスを再構成した配線図(FlyWire)だ1。脳を丸ごと一枚に収めた配線図としては、いまのところ最大である。ただし「最大」には全脳という条件がつく。シナプスの数だけを比べるなら、マウス視覚野の1立方ミリメートル片の再構成が約5億シナプスで、こちらが約10倍ある2

これは「脳を丸ごと測り尽くす」という夢の到達点のひとつだ。だが、この配線図から脳がどう動くかは決まらない。決まらない理由——配線図に何が載っていて、何が載っていないのか——が本題だ。

「コネクトーム」が指す中身は、例ごとに違う

先に語の中身を決めておきたい。コネクトームは「神経系の結合の地図」だが、どの結合を数えたのかは対象ごとに違う

FlyWire が数えたのは化学シナプスだけだ。論文の記述も「139,255個のニューロンのあいだの5×10⁷個の化学シナプス」であって、電気シナプスは含まれていない1。一方、線虫 C. elegans の連結図は電気シナプス(ギャップ結合)を別のレイヤとして持つ。雌雄同体の連結図は、向きのある化学シナプスの辺が4,887本、向きのないギャップ結合の辺が1,447本、という二層構造で公開されている3

この差は小さくない。ギャップ結合は双方向に電流を流し、伝達物質を介さず、時間特性も化学シナプスとは違う。同じ「コネクトーム」という語が、この記事の二つの主役で指す中身が違うということだ。以下で「配線図に載らない」と言うときは、その配線図が何を数えたものなのかを毎回確かめる必要がある。

線虫の配線図は、40年かけて直され続けてきた

前例がある。線虫 C. elegans だ。ニューロンは雌雄同体で302個、雄で385個しかない3

ただし「1986年に完成した」という言い方は正確ではない。White らの再構成は複数個体の切片を合成したもので、後続の一次文献は「腹側神経索のニューロンの結合には大きな欠落が残っていた」「公開された配線図は、正確でも完全でも自己整合的でもない」と書いている。欠落を埋めた更新版が出たのは2011年で、その論文自身が「それでも欠測と技術的困難のため約90%しか完全でない」と断っている4。雌雄そろった全個体レベルの連結図が出たのは2019年だ3。線虫の配線図は40年前に完成したのではなく、40年かけて直され続けてきた

では、その配線から行動は決まったか。部分的にしか、決まっていない。示唆的なのが2023年の信号伝播アトラスだ。

やり方はこうだ。113匹の個体で、ニューロンを1個ずつ光遺伝学的に刺激し、全脳のカルシウム応答を同時に測る。得られたのは送り手と受け手のニューロン組23,433通りについての、伝播の符号・強さ・時間特性・因果の向きの記録だ。単位に注意がいる。23,433はニューロンの数ではなく、測ったニューロンの組の数である。二つの被覆率も混ぜないほうがいい。記録できたのは頭部188個のうち186個(99%)のニューロンの活動で、これは測れた側の数字だ。刺激と応答の組として測れたのは、頭部で可能な組の66%にとどまる(刺激されないまま記録だけされたニューロンもいる)。

結果は、伝播が解剖学ベースの予測とずれること、そしてその差にシナプス外の神経ペプチド伝達が効いていることだった5。配線図が手元にあってなお、信号がどう伝わるかは測りにいくしかなかった。

配線図に載らないもの

なぜ配線から機能が決まらないのか。静的な配線図が記録していない情報を、四つ挙げる。

符号(興奮か抑制か)。ここは誤解しやすい。伝達物質の情報自体は埋まりつつある。FlyWire は伝達物質の推定を配線図に同梱して配布しているし1、線虫では主要な伝達物質7種をノックイン標識で調べたアトラスが2024年に出ている6。だが、興奮性か抑制性かを決めるのは送り手の伝達物質ではなく受け手の受容体だ。線虫ではグルタミン酸が、グルタミン酸で開く塩化物イオンチャネルを介して抑制性に働く7。だから伝達物質を同定しても符号は確定しない。事実、先の信号伝播アトラスは符号そのものを実測している5。アトラスで足りるなら、測る必要はなかったはずだ。

時間とダイナミクス。行動は時々刻々と変わるが、配線は固定されている。同じ配線が、状態しだいで違う出力を出す。

神経修飾。ドーパミンやセロトニンは、同じ回路の効き方そのものを書き換える。総説の言葉では、解剖学的なコネクトームは最小限の構造を与えるものであり、行動を生む機能的な回路を構成し規定するのは神経修飾の環境である8

素子そのものの性質。線虫のニューロンは長らく、古典的な活動電位を持たず段階的な膜電位で信号をやりとりすると考えられてきた。ただし例外が見つかっている。AWA嗅覚ニューロンはカルシウムを担い手とする全か無かの活動電位を発することが2018年に報告された9。どちらの素子であるかは、配線図には書かれていない。

個体差についても一言いる。FlyWire が再構成したのは成体メス1個体の脳(中枢脳と視葉。腹側神経索は含まない)だ1。1枚の配線図から個体差は読み取れない。別の脳と突き合わせた研究では、細胞数と結合はおおむね定型的で、ときに個体差が現れると報告されている10

地下鉄の路線図

コネクトームは地下鉄の路線図に似ている。どの駅とどの駅がつながっているかは分かる。だが路線図は教えてくれない——いつ電車が走るのか、誰が乗るのか、その路線が街にとって何のためにあるのかを。

この見立ては神経科学の側でも早くから言われてきた。2013年の総説は、神経系の機能を理解するには結合図のほかにどんな情報が要るのかを正面から問い、ニューロンのダイナミクス、神経修飾、並列回路の存在を挙げている11。「配線図では分からない」ではなく「配線図だけでは決まらない」。この区別が本題の芯にあたる。

配線図は効く、別の層を足したときに

配線図が土台として効くことは、すでに実証されている。

幼生ゼブラフィッシュの脳幹では、再構成した配線図からそのまま組んだ回路モデルが、眼球位置の細胞レベルの符号化と神経ダイナミクスを予測し、カルシウムイメージングによる活動記録で統計的に検証された12。同じ構図は他の脊椎動物でも見える。ただし網膜の例は、配線だけで足りたという話ではない。マウス網膜の方向選択性は、双極細胞がスターバーストアマクリン細胞の「近く」に配線する型と「遠く」に配線する型に分かれる、という電子顕微鏡由来の事実だけからは出てこない。決め手になったのは、近い型が遠い型より視覚応答で 50〜100 ミリ秒遅れるという、別の生理実験から借りてきた時間の情報だった。配線に時間を重ねてはじめて、時空間に傾いた受容野——すなわち方向選択性——が導かれる13

ハエでも、FlyWire の配線と推定伝達物質だけから組んだ全脳の発火モデルが動いた。糖や水の味覚ニューロンをモデル上で刺激すると、実際に味に応答し摂食開始に必要なニューロンを正しく予測する。さらに摂食領域のニューロンを刺激すると運動ニューロンの発火が起きるという予測が立ち、光遺伝学的な活性化と行動実験で検証されたのはこの後者のほう14

注目したいのは、このモデルが配線だけでは動いていないことだ。推定した伝達物質という別の層を重ねて、はじめて発火モデルになる。線虫で足りなかったものも、種類としては同じだった。符号、時間、修飾、素子である。

結論:足りないのは量ではなく種類

配線を測る解像度をどれだけ上げても、時間・修飾・状態依存性は配線図の上には現れない。それらは配線とは別に測りにいくものだ。原理的に測れないという話ではない。現に符号は光刺激で測られ、伝達物質はノックイン標識で調べられ、細胞型は注釈として重ねられている。

だからコネクトームは「答え」ではなく「最初の一歩」だ。取り違えると、データを増やす方向だけで壁を越えようとすることになる。データを増やすことが答えになるのは、それが正しい種類のデータであるときだけだ。


出典14件
  1. S. Dorkenwald, A. Matsliah, A. R. Sterling, P. Schlegel ら(FlyWire Consortium)「Neuronal wiring diagram of an adult brain」, Nature 634(8032), 124–138 (2024), doi:10.1038/s41586-024-07558-y。原文の記述は「a neuronal wiring diagram of a whole brain containing 5 × 10⁷ chemical synapses between 139,255 neurons reconstructed from an adult female Drosophila melanogaster」——数えたのは化学シナプスのみ、対象は成体メス1個体。「predictions of neurotransmitter identities」も同梱して配布されると明記。 https://www.nature.com/articles/s41586-024-07558-y 2 3 4

  2. The MICrONS Consortium「Functional connectomics spanning multiple areas of mouse visual cortex」, Nature 640, 435–447 (2025), doi:10.1038/s41586-025-08790-w。マウス視覚野の約1立方ミリメートル(in vivo 実寸 1.3 × 0.87 × 0.82 mm³)を電子顕微鏡で再構成し、「more than 200,000 cells and 0.5 billion synapses」を含むと報告。全脳ではなく一片であることに注意。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11981939/

  3. S. J. Cook, T. A. Jarrell, C. A. Brittin ら(責任著者 S. W. Emmons)「Whole-animal connectomes of both Caenorhabditis elegans sexes」, Nature 571(7763), 63–71 (2019), doi:10.1038/s41586-019-1352-7。雌雄両方の全個体連結図。雌雄同体のグラフは302ニューロン、雄のグラフは385ニューロンを含み、雌雄同体では化学シナプスの有向辺4,887本とギャップ結合の無向辺1,447本が別立てで与えられている。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6889226/ 2 3

  4. L. R. Varshney, B. L. Chen, E. Paniagua, D. H. Hall & D. B. Chklovskii「Structural properties of the Caenorhabditis elegans neuronal network」, PLoS Computational Biology 7(2), e1001066 (2011), doi:10.1371/journal.pcbi.1001066。White ら1986年の再構成について「a major gap in the connectivity of ventral cord neurons remained」「published wiring diagrams are neither accurate nor complete and self-consistent」と述べ、自らの更新版についても「it is only about 90% complete because of missing data and technical difficulties」と断っている。なお PLOS の HTML 版はこの数値を画像として組んでおり本文テキストからは読めないため、数値を確かめるなら arXiv 版(https://arxiv.org/abs/0907.2373、v1–v4 いずれも同文)を参照。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3033362/

  5. F. Randi, A. K. Sharma, S. Dvali & A. M. Leifer「Neural signal propagation atlas of Caenorhabditis elegans」, Nature 623, 406–414 (2023), doi:10.1038/s41586-023-06683-4。掲載版の記述は「we systematically measure signal propagation in 23,433 pairs of neurons across the head」——単位はニューロンのである。本文では「activity from 186 of 188 neurons in the head, or 99% of all head neurons」「We recorded activity from 113 wild-type (WT)-background animals」「we activated each single neuron, one at a time」と述べる。測定項目は「the sign (excitatory or inhibitory), strength, temporal properties, and causal direction」。信号伝播が解剖学ベースの予測とずれ、シナプス外シグナリングがその差に寄与すると報告。 https://doi.org/10.1038/s41586-023-06683-4 2

  6. C. Wang, B. Vidal, S. Sural, … O. Hobert「A neurotransmitter atlas of C. elegans males and hermaphrodites」, eLife 13:RP95402 (2024), doi:10.7554/eLife.95402.3。主要7種(グルタミン酸・アセチルコリン・GABA・セロトニン・ドーパミン・チラミン・オクトパミン)についてCRISPRノックインレポーター16系統を雌雄同体・雄の双方で解析し、「the most extensive whole-animal-wide map of neurotransmitter usage to date」と報告。ただし個々の結合が興奮性か抑制性かは扱っていない。 https://elifesciences.org/articles/95402

  7. D. F. Cully, D. K. Vassilatis, K. K. Liu ら「Cloning of an avermectin-sensitive glutamate-gated chloride channel from Caenorhabditis elegans」, Nature 371(6499), 707–711 (1994), doi:10.1038/371707a0。線虫のmRNAがコードするアベルメクチン感受性のグルタミン酸作動性塩化物イオンチャネルを発現クローニングで同定。グルタミン酸が塩化物イオンチャネルを開く=抑制性に働く経路が線虫に存在することを示した。 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/7935817/

  8. E. Marder「Neuromodulation of Neuronal Circuits: Back to the Future」, Neuron 76(1), 1–11 (2012), doi:10.1016/j.neuron.2012.09.010。神経修飾物質が回路の出力を大きく組み替えることを論じた総説——原文の結語は「the anatomical connectome provides a minimal structure and the neuromodulatory environment constructs and specifies the functional circuits that give rise to behavior」。 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23040802/

  9. Q. Liu, P. B. Kidd, M. Dobosiewicz & C. I. Bargmann「C. elegans AWA Olfactory Neurons Fire Calcium-Mediated All-or-None Action Potentials」, Cell 175(1), 57–70.e17 (2018), doi:10.1016/j.cell.2018.08.018。冒頭で「Neurons in Caenorhabditis elegans and other nematodes have been thought to lack classical action potentials」と通説を確認したうえで、AWA嗅覚ニューロンにEGL-19依存のカルシウムスパイクを観測したと報告。 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/30220455/

  10. P. Schlegel, Y. Yin, A. S. Bates, S. Dorkenwald ら「Whole-brain annotation and multi-connectome cell typing of Drosophila」, Nature 634(8032), 139–152 (2024), doi:10.1038/s41586-024-07686-5。FlyWire の全脳コネクトームに細胞クラス・細胞型・発生単位の階層注釈を与えた研究。8,453の細胞型を注釈し、別個体の脳との突き合わせから「broad stereotypy and occasional variability in neuron count and connectivity」を報告。 https://www.nature.com/articles/s41586-024-07686-5

  11. C. I. Bargmann & E. Marder「From the connectome to brain function」, Nature Methods 10(6), 483–490 (2013), doi:10.1038/nmeth.2451。「we ask what information is needed beyond connectivity diagrams to understand the function of nervous systems」と問いを立て、「the importance of neuronal dynamics and neuromodulation, and the existence of parallel circuits」を挙げる総説。 https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23866325/

  12. A. Vishwanathan, A. Sood, J. Wu, A. D. Ramirez ら「Predicting modular functions and neural coding of behavior from a synaptic wiring diagram」, Nature Neuroscience 27(12), 2443–2454 (2024), doi:10.1038/s41593-024-01784-3。幼生ゼブラフィッシュ脳幹の配線図から回路モデルを構築し、眼球位置の細胞レベル符号化と神経ダイナミクスを予測、カルシウムイメージングで統計的に検証。自己評価は「This work demonstrates how connectome-based brain modeling can reveal previously unknown anatomical structure in a neural circuit and provide insights linking network form to function」。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11614741/

  13. J. S. Kim, M. J. Greene, A. Zlateski ら(責任著者 H. S. Seung、EyeWirers)「Space–time wiring specificity supports direction selectivity in the retina」, Nature 509(7500), 331–336 (2014), doi:10.1038/nature13240。マウス網膜のOff型スターバーストアマクリン細胞と双極細胞を電子顕微鏡像から再構成し、接触面積と分枝の深さの解析から配線の時空間特異性が方向選択性を支えうることを示した。要旨は可能性の様相で書かれている——A mathematical model shows how such "space-time wiring specificity" could endow SAC dendrites with receptive fields that are oriented in space-time。方向選択性そのものの生理検証は本論文では行っていない(全文で calcium imagingphysiolog はいずれも0件)。決め手の時間差も本論文の実測ではなく、Imaging of intracellular calcium in BC axons[7] and extracellular glutamate around BC axons[8] indicate that BC2 lags BC3a in visual responses by 50 to 100 ms として参考文献7・8の別研究から借りている。さらにモデルは、BC3a が過渡的・BC2 が持続的という素子そのものの応答性質の差も使う。 https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4074887/

  14. P. K. Shiu, G. R. Sterne, N. Spiller, R. Franconville ら(責任著者 K. Scott)「A Drosophila computational brain model reveals sensorimotor processing」, Nature 634(8032), 210–219 (2024), doi:10.1038/s41586-024-07763-9。配線と推定神経伝達物質だけからleaky integrate-and-fireモデルを構築。「activation of sugar-sensing or water-sensing gustatory neurons in the computational model accurately predicts neurons that respond to tastes and are required for feeding initiation」と述べ、光遺伝学的活性化と行動実験で検証したのは別の予測——「using the model to activate neurons in the feeding region of the Drosophila brain predicts those that elicit motor neuron firing—a testable hypothesis that we validate by optogenetic activation and behavioural studies」——のほうである。 https://www.nature.com/articles/s41586-024-07763-9

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