AIエージェント
長く働くエージェントの文脈管理——『忘れ方』の設計
長く働くエージェントは、会話とツール呼び出しの履歴がどんどん膨らむ。素直に考えれば「全部覚えている方が賢い」はずだ。だが2026年5〜6月に出た2本のプレプリントは、逆の方向を指す。1本目は、履歴を全部保持するより、刈り込んで要約する方がタスクの完了率が上がったと報告する1。その実験では、全履歴を渡すと完了率71%だったのに対し、直近5つのツール呼び出しだけに刈り込むと79%、さらに要約を足すと91.6%まで上がった1。トークンは148万→55万、実行時間は14.6→5.8時間で、いずれも4割前後に減っている1。もう一本は、その「捨て方」はエージェントの地力に合わせて変えるべきだと示す2。鍵は記憶を貯めることではなく、捨て方を設計することにある。
全部持たせると、かえって弱る
1本目「Less Context, Better Agents」は、Microsoft のチームが自社の Dynamics 365 上で50課題の経費処理ベンチマークを組み、GPT-5 で文脈の持たせ方を比べたものだ1。下の3条件はいずれも、非対話のハーネスで GPT-5 が途中停止するのを防ぐため、gpt-4.1 の利用者モデルを対話相手として同席させた構成である(後述の Sonnet 4.5 側は利用者モデル無しで回している)。結果はこうなった(71%→79% の一段は信頼区間がわずかに重なる、と著者らは断っている)。
- 全履歴を保持:完了率 71.0%(約148万トークン・14.6時間)
- 直近5つのツール呼び出しに刈り込み:79.0%(約54万トークン・5.4時間)
- 刈り込み+要約:91.6%(約55万トークン・5.8時間)
膨らんだ履歴は、賢さの足しにならなかった。著者らが挙げる問題は、冗長なツール応答による文脈の溢れ、古い状態に基づく誤り、そして推論コストの増大だ1。機構も測られている——全履歴では古い状態を参照した誤りが非完了の47%(34/73)を占め、刈り込みで11%(6/53)に落ちた。代わりに刈り込み単独では「残高が見えなくなって途中で打ち切る」失敗が2倍(9→18)に増え、要約がそれを6分の1に戻している1。直近5件のツール呼び出しは生のまま残し、そこから押し出された直近3件だけを1つの要約に畳んで差し込む——これだけで、完了率は上がり、トークンと時間は4割前後に下がった。
ただし、この幅をそのまま一般化はできない。同じ論文が Claude Sonnet 4.5 でも回しているが、そちらは文脈工学を何もしない状態ですでに完了率88.0%(GPT-5 は同じ利用者モデル無しの条件で8.0%)で、刈り込みで 92.0%、刈り込み+要約で 94.5% だった。順序は Sonnet でも保たれるが、伸びは +6.5 ポイントにとどまる。しかもトークンが 3,562K→2,235K と減った一方で、実行時間は6.20→11.30時間へ約1.8倍に増えている1。効き幅はモデルで変わるが、「刈り込み+要約が最良」という並びは変わらなかった、と読むのが正確だ1。
なお、著者らが「モデル固有の停止(stalling)挙動を反映している」と書いているのは、利用者モデルを外した条件(8.0%)から全履歴保持(71.0%)への跳ねについてであって、上の 71→79→91.6 についてではない。著者らはその区別のためにこの条件を梯子から外し、文脈工学の主張は「全履歴→刈り込み→刈り込み+要約」の比較にのみ依拠すると明示している1。
「捨て方」はエージェントの強さで変える
ただし、刈り込みは強くやればいいという単純な話でもない。2本目「AdaCoM」は、外部のLLMに文脈管理そのものを学習させる(強化学習で「何を残し何を畳むか」を訓練)。エージェント側で文脈を制御する方式や、要約のような固定戦略に比べ、Web検索や深いリサーチ系のベンチマークで性能が上がったと著者らは報告する(BrowseComp-Plus の4エージェント平均で、文脈管理なしの ReAct 24.17 に対し 33.60=+39.0%。比較対象で最も強い SumCoM 29.39 に対しては +14.3% にあたる)2。
この研究が見つけた勘所が「忠実さと信頼性のトレードオフ」だ。地力の高いエージェントは、文脈を忠実に残すほど得をする。逆に地力の低いエージェントは、思い切って圧縮して、扱える範囲に文脈を収めた方が安定する2。つまり、最適な刈り込みの強さは一律ではなく、動かすモデルの強さに合わせて決めるものだ。
実務で何が変わるか
適した捨て方がエージェントの地力で変わるなら、文脈の持たせ方は一度決めて使い回す設定ではなく、組むたびに決め直す項目になる。
- 全履歴を丸ごと渡さない。 直近のツール呼び出しを生で残し、そこから押し出された直近数件を要約して1メッセージだけ差し込む、という形が、全部盛りより完了率で勝つことがある1。まず「刈り込み+要約」を基準線に置くとよい。要約を足す利点は精度だけではない——run 間のばらつきは刈り込み単独の ±8.2 から ±1.7 に縮み、1割以上を残したまま終わった課題は50件中6件から1件に減る1。なお全履歴を要約する方式(
W=−1)も別条件として測られており、精度はほぼ同じ(91.6%→92.0%)だが、トークンは約11%多い(553K→615K)。 - 残す基準は「タスクの制約と進捗」。 何を捨てるか迷ったら、目標・制約・ここまでの進捗は残し、役目を終えた中間出力は畳む。AdaCoM が性能を上げた要も、この「制約と進捗を保ちつつ、古い内容を刈る」だった2。
- 圧縮の強さは、そのタスクでの素の成績に合わせる。 素で強いエージェントは残しめ、弱いエージェントは刈り込みめ2。一律の設定を全機種に流用しない。
- コスト減は副産物として大きい——ただしモデル次第。 GPT-5 では刈り込み+要約でトークンも時間も4割前後に減ったが、同じ論文の Sonnet 4.5 では同じ構成で、トークンが 3,562K→2,235K に減る一方、時間は 6.20→11.30時間と約1.8倍に増えた1。運用費と待ち時間は、自分の構成で測り直す。
ただし「減らすほど良い」と一般化はできない。刈り込みは、答えに必要な証拠まで捨てると逆に失敗する——長い仕事の記憶は、生の履歴を読み返すより「必要な証拠を予算内で残す」方が効くと報告する研究もある(同論文は、要約寄りのベースラインでもF1は competitive になりうるとも書いている)3。さらに別分野では話が変わる。60の科学的発見タスクで8種の圧縮法を比べた研究は、どの圧縮も仮説の質を有意には変えず、しかもLLMによる要約はむしろトークンを24〜94%増やした(最適な圧縮はドメインとタスク長で変わる)と報告する4。つまり「刈り込み+要約が効く/安くなる」は経費処理のような手順型タスクでの知見であって(本体のベンチマークが Hotel カテゴリで、Travel と Meals & Gifts に広げても同じ順序が出ている1)、分野が変われば同じ得は出ない。必要な証拠の粒度が高い仕事では、減らし方を誤ると取りこぼす3。
長く働くエージェントで効くのは、より多く覚えさせることでも、やみくもに減らすことでもなく、仕事に合わせて忘れ方を設計することだ。完了率で「減らす方が強い」を示したのは1本目で、2本目が示すのは「捨て方はエージェントの地力次第」だ(いずれも査読前)。上で見たとおり効き方はタスク次第で、万能の設定はない。
出典4件
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Abhilasha Lodha ほか, “Less Context, Better Agents: Efficient Context Engineering for Long-Horizon Tool-Using LLM Agents”(arXiv:2606.10209, 2026年6月8日公開)。50課題の経費処理ベンチマーク・GPT-5(3条件とも gpt-4.1 の利用者モデルを同席させた構成)。全履歴保持=完了率71.0%(1,480,996トークン・14.56時間)、直近5ツール呼び出しに刈り込み=79.0%(535,274トークン・5.39時間)、刈り込み+要約=91.6%(553,374トークン・5.79時間)。5回の run にわたる標準偏差はそれぞれ ±4.4/±8.2/±1.7 で、1割以上を残して終わった課題は50件中13件/6件/1件(Table 3・4.4節)。刈り込み+要約の設定は
N=5, W=3=生で残すツール呼び出し5件、押し出された直近3件だけを要約。全履歴要約(W=−1)は別条件として測られており 92.0%・615Kトークン(Table 7)。Claude Sonnet 4.5 は利用者モデル無しで回しており、文脈工学なし=88.0%(3,562Kトークン・6.20時間)、刈り込み=92.0%(2,161K・10.70時間)、刈り込み+要約=94.5%(2,235K・11.30時間)(Table 8)。本体の Hotel(71.0→79.0→91.6、Table 2 の再掲)に加え、カテゴリを広げた Travel(n=30)76.0→86.6→95.0、Meals & Gifts(n=32)75.6→89.4→96.1 でも、刈り込み単独を挟んだ3点で同じ順序(4.8節・Table 4)。なお原典本文は途中打ち切りの 9→18 をtriplesと書くが、同論文 Table 5 の実測は2倍である(本稿は Table 5 の値を採った)。https://arxiv.org/abs/2606.10209 ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5 ↩6 ↩7 ↩8 ↩9 ↩10 ↩11 ↩12 ↩13 -
“Learning Agent-Compatible Context Management for Long-Horizon Tasks”(arXiv:2605.30785, 2026年5月29日公開)。凍結したエージェントの文脈を外部LLMが強化学習で管理する AdaCoM。タスクの制約と進捗を保ちつつ古い内容を刈ることで、エージェント側の文脈制御や要約のような固定戦略に比べ、Web検索・深いリサーチ系ベンチマークの性能を改善したと報告する。BrowseComp-Plus(Web検索)は4エージェント平均で、文脈管理なしの ReAct 24.17 に対し AdaCoM 33.60(+39.0%)、比較対象で最も強い SumCoM 29.39 に対しては +14.3%(Table 1)。著者らが構築した MCP-Bench-Wiki(深いリサーチ、2エージェントのみ)では +9.0%/+22.3%。著者らは制約として、管理役のLLMを毎ステップ呼ぶためトークンと遅延が増え、文脈を書き換えるためKVキャッシュの再利用が効きにくくなる(要約系も同じ)と明記している。「忠実さと信頼性のトレードオフ」=地力の高いエージェントは高忠実な文脈保持が得、低いエージェントは積極的な圧縮で安定する。https://arxiv.org/abs/2605.30785 ↩ ↩2 ↩3 ↩4 ↩5
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Yilong Li, Suman Banerjee & Tong Che, “EMBER: Efficient Memory via Budgeted Evidence Retention for Long-Horizon Agents”(arXiv:2606.05894, 2026年6月4日公開)。著者らは、長い仕事の記憶は「生履歴をより多く読み返すこと」ではなく「答えに必要な証拠を予算内で残す」ことに依存し、保持した記憶が必要な証拠を取りこぼすと結局は大きな生履歴に戻らざるを得ない、と論じる(retained-evidence 8192トークン比較点で F1 0.3017 vs 最強の非EMBERベースライン 0.1765)。ただし著者らは、要約寄りのベースライン(TierMem-BudgetRaw)の F1 は competitive になりうるとも明記している——圧縮された要約でも答えの手がかりは運べるからだ、と理由まで書いている。刈り込み一辺倒の限界を突く側。査読前。https://arxiv.org/abs/2606.05894 ↩ ↩2
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R. Chintalapati ほか, “Evaluating Memory Condensation Strategies for Coding Agents in Data-Driven Scientific Discovery”(arXiv:2605.18854, 2026年5月13日公開)。GPT-4o・DiscoveryBench 60課題・6分野(計480評価)で8種の圧縮法を比較。著者らの報告では、どの圧縮も仮説の質を有意には変えず、LLMによる要約はトークンを24〜94%増やした一方、ツール出力のマスクは8.6%の純減だった。加えて、最適な圧縮はドメインとタスク長で変わる。「刈り込み+要約が普遍的に効く/安くなる」を割り引く側。査読前。https://arxiv.org/abs/2605.18854 ↩
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